テゲツー!の歴史担当、Diceです。
「宮崎県の県の木は何?」と問われたら、何と答えますか?
ほとんどの人が「フェニックス」と答えられると思います。
宮崎県庁の正面玄関前や日南海岸、大淀河畔の橘公園など各地に植えられていて、宮崎らしい景観を飾るフェニックスは、1966(昭和41)年9月3日に県緑化推進委員会により、宮崎県の木に制定され、今年で制定50周年となります。
制定経緯の動画もあるよ
宮崎県庁のWebサイトには、「『県の木フェニックス』制定50周年!」というページが設けられていて、フェニックスに関する情報が掲載されています。
制定の経緯について県職員が説明する動画もあって、
「今後も続々とフェニックス紹介動画を掲載します。」
と予告されていますので、これからが楽しみです。
動画出典:宮崎県庁Webサイト
なるほど、オビスギ、クス、フェニックスの3択の人気投票で第一位だったのですね。
新婚旅行ブームという時代背景も後押ししたのですね。
なお、オビスギは、ヤマザクラとともに、2003(平成15)年2月6日に宮崎県の木に追加指定されています。
どこから来たんだろう?
しかし、アフリカのカナリー島が原産のフェニックスは、当然に、最初から宮崎に自生していたわけではなく、上記の宮崎県庁のページには、
「本県では大正のはじめころに宮崎市の天神山公園に植えられたのが初めてです。」
と書かれています。
その後、「宮崎観光の父」とも称される宮崎交通の始祖・岩切章太郎氏が、1936(昭和11)年から日南海岸にフェニックスの植栽を始め、現在の景観に続いていることは有名なのですが、そもそも何故、天神山公園なのでしょう?
気になりますね。
ちょこちょこっとリサーチかけて、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベース「レファレンス協同データベース」に、
「宮崎の県木フェニックスについて知りたい。」
という質問とその答えが収録されているのを見つけました。
回答館は宮崎県立図書館です。
その答えには、こうありました。
(1) 『県の花県の木』(高橋書店)(M書4704/22)のp180、『宮崎の並み木』(M書629/19)のp4。『せんぬけ 第11号』(4705/2-11)にフェニックスの外来の経緯や諸説がある。
(2) 『翔べフェニックス』(渡辺綱纜/著 鉱脈社)(M書9146ワ/108)のp301、p214には著者や岩切章太郎氏のフェニックスへの思い、川端康成著の「たまゆら」では、宮崎のフェニックスを描いた1章が見られる。
『大地に絵をかく』(渡辺綱纜/著 皆美社)(M書9146ワ22)のp11~p16,p158~p159には川端康成が宮崎に来訪したおりフェニックスを「たまゆら」にとりあげた経緯などについての記載がある。(3) 『宮崎県農業試験場60年史』(M書庫6107/67)のp101の「天神山の思い出」という記事の中にもフェニックスの宮崎への伝来についてふれられている。
宮崎県立図書館で調べてみた
ということで、宮崎県立図書館に確認にやってきました。
上記の資料を全て揃えて得られた結果を整理し直してみますと、
- 岩切章太郎氏がフェニックスと出会ったのは、昭和初期(昭和6年頃?)、県の農業試験場だった。
- 当時、県の農業試験場園芸部は、宮崎市大淀の天神山にあった。
- 農業試験場園芸部にあったフェニックスの由来については複数の説があるが、明治末期から大正初期頃に、当時の農商務省農事試験場九州支場から3鉢を譲り受け、天神山の園芸部の温室で育てたものを路地に定植したという説が最有力。
- 岩切氏は、中村園芸場の社長・中村林太郎氏に依頼して、アメリカからフェニックスの種を輸入して苗を育て、1936(昭和11)年から日南海岸に植栽していった.
- 中村氏と平行して、宮崎交通の稲用富男氏もアメリカから種を輸入して日南海岸に植える苗を育てていた。
ということのようです。
詳しい記述が知りたい方は、県立図書館で上記の一次資料に当たってみてください。
これで、天神山の謎は解けましたね。
エジプト神話の不死鳥と同じ名前と、鳥の尾羽根のような葉を持つことで、宮崎に取材旅行に訪れた作家・川端康成の心をとらえたフェニックス。
今も変わらず、多くの人々の心を惹きつける景観の裏には、こうした先人達の努力があったのですね。
県の木指定50周年を機に、未来へ向けた新たな景観形成のあり方を考え直してみるのも良いのではないでしょうか。