1962年、宮崎市生まれのDiceです。
生まれた頃は周りに田んぼが広がる風景の和知川原に住んでいて、幼少の頃に父親の自転車の荷台に座って、錦町の県営球場に読売巨人軍のキャンプを観に連れて行かれたのをおぼろげながら覚えています。
その頃の記憶は既におぼろげで断片的なのですが、その頃の記憶が蘇えるのを助けてくれるサイトが、このたび公開されました。
それが、「宮崎市フォトアーカイブ」。
宮崎市制100周年記念事業の一環として、宮崎市の魅力を再発見できるような写真アーカイブサイトの作成を行うことにより郷土愛の育成につなげていくことを目的として、2023年11月末に「写真アーカイブサイト構築運用業務に関する公募型プロポーザル」の募集が始まり、応募企業の中から審査の結果、年が明けた2024年1月にスパークジャパン株式会社の受託が決定し、3ヶ月ほどで公開となったものです。
温故知新
アーカイブには、1920年代以降の写真が掲載されていますが、現在のところ1940年代までの写真は二次利用ができないため、1950年代以降の写真からいくつかご紹介しましょう。
上の写真は、「橘通り三丁目付近」というタイトルの、現在のデパート前交差点の1950年代の写真。
中央に映る地上4階建ての建物は、橘百貨店本店(1952年10月21日開店)で、屋上には遊園地が設置されています。
その前の交差点はロータリー式(ラウンドアバウト)になっています。
このロータリーは、交通量の増加に伴い1965(昭和40)年に撤去されましたが、今でもその復活を望む声があったりします。
交差点のロータリー、この写真にも写っていますが、これは「橘通 交差点ロータリー」というタイトルの1960年代の写真。
奥に大淀川写っていることから、ここは現在の橘通市役所前交差点であることがわかります。
ここにロータリーがあったことは、私も今回初めて知りました。
その大淀川では、夏に子ども達が泳ぐ姿がありました。
これは、「大淀川で泳ぐ子供達」というタイトルの1960年代の写真。
この後、水質悪化で大淀川では泳げなくなりましたが、安全性が強く求められる現在では想像できない光景かもしれません。
続いては、「日南鉄道工事現場」と名付けられた1950年代の写真。
場所は定かではありませんが、現在のJR日南線の内海から伊比井の間あたりでしょうか。
赤江(現在の南宮崎)から内海までの宮崎軽便鉄道が開業したのが1913(大正2)年。
1920(大正9)年には宮崎鉄道に改称し、太平洋戦争中の1943(昭和18)年に国策で宮崎交通の運営となり、1962年の廃線まで続きました。
それが、国鉄日南線として南宮崎から鹿児島県志布志まで開通したのが1963(昭和38)年。
1950年代は、海岸沿いを走っていた宮崎交通線の線路に代わり、南宮崎から日南市北郷までの線路の敷設工事が行われていたのでした。
完成した日南線に1970年代半ばまで蒸気機関車(C11)が走っていたのを、私も懐かしく覚えています。
今も走っていれば、良い観光資源になったかもしれません。
こんな具合に、写真アーカイブには、宮崎市の昔の姿を伝える写真画像が多数収録されていて、キーワードやジャンル、年代、エリアで検索することができます。
一部を除いては、ダウンロードして二次利用することが可能になっている(ただし、商用利用には利用申請が必要)ので、SNSやWebサイトで情報発信したりする際に利用するのもOK。
皆さんも、それぞれの記憶に通じる写真が見つかることと思いますので、是非覗いてみてください!
1950(昭和25)年以前の写真を募集中!
宮崎市写真アーカイブサイトでは、内容を更に充実させるため、
・1950(昭和25)年以前に撮影されたもの
・街並みや自然、お祭りや暮らしなど、当時の宮崎市の様子がうかがえるもの など
宮崎市の昔の写真を募集中です。
提供に当たっては、
・個人が特定できない写真であること
・公序良俗に反していないものであること
・提供写真の撮影者ご本人またはご家族であること
・写真の著作権を宮崎市に譲渡いただけること
・写真データのサイズが1MB~10MB以内でJPEG形式であること
・ご提供いただける数は最大5枚 など
といった条件がありますが、提供しても良い写真データをお持ちの方は、下記リンクの提供フォームからどうぞ!