宮崎市内で神社にお詣りするとしたら宮崎神宮、青島神社というメジャースポットのほか、江田神社、小戸神社、生目神社、更には以前ご紹介した「みそぎ御殿」なんていう穴場もあったりしますが、今回のお薦めスポットは、宮崎神宮の西北約600m、平和台公園に続く旧宮崎市の北部丘陵の南端に位置する「皇宮神社(こうぐうじんじゃ)」。
実はここ、後に神武天皇として即位することになる神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が、15歳で皇太子に即かれたのを機に生誕地の諸県の高原郷の狭野原(現在の高原町狭野)から移り住み、いわゆる「神武東征」で45歳の時に大和地方へ向かって美々津から船出する直前まで過ごした住居跡と言い伝えられる場所に建てられた神社なのです。
祀られているのは
神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)(神武天皇)
手耳研命(たぎしみみのみこと)
吾平津姫命(あひらつひめのみこと)
渟名川耳命(ぬなかわみみのみこと)
の四柱。
吾平津姫命は神武天皇の妻で、東征には同行せず、日南市油津にある吾平津神社(乙姫神社)で東征の成功と道中の安全を祈ったと伝えられています。
手耳研命は神武天皇とその吾平津姫命の間に生まれた息子で、渟名川耳命は神武天皇と五十鈴媛命(いすずよりひめのみこと)との間に生まれた息子で後の綏靖天皇(すいぜいてんのう)です。
この異母兄弟二人は、神武天皇の死後相争うことになるんですが、詳しくは「日本書紀」をお読みください(^_^;。
場所はここ
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宮崎神宮の北西角にある矢の先交差点から県道333号線を西に、平和台大橋方面へ700mほど行くと、右手に「皇宮神社」と書かれた案内板のある駐車場があります。
駐車場の奥、石灯籠の間を抜けると石段があるので、登っていきます。
すると、そこにあったのは…。
皇軍発祥之地碑
まず目に飛び込んできたのは、「皇軍発祥之地」と書かれた石塔でした。
これは、近くの平和台にある平和の塔(八紘基柱)が建てられたのと同時期の1940(昭和15)年に、「紀元二千六百年奉祝会」によって建てられたもので、碑文は当時の陸軍大臣秋山元の手によるもののようです。
これは、先に書いたとおり、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が、ここから軍を率いて東征の旅に出て、後に神武天皇として即位したという伝承に由来するものですが、当時の日本が太平洋戦争に突き進んだ歴史の象徴でもあります。
タブの大木がお出迎え
「皇軍発祥之地碑」を右手に見ながらさらに進むと、大きなタブノキが出迎えてくれます。
1976(昭和51)年3月に宮崎市が「郷土の名木(第175号)」に指定した大木です。
タブノキは照葉樹林の代表的樹木のひとつで、昔から各地の神社の鎮守の森に育っています。
ここのタブノキの樹齢はよくわかりませんが、かなり前から、この地の歴史を見守ってきたのでしょう。
タブノキの先にある手水舎で手と口を清め、お詣りしましょう。
宮崎神宮のWebサイトによれば、現在の社殿は、伊勢神宮の第60回神宮式年遷宮(昭和48年)の際の古殿舎(外宮外幣殿)撤下材を使って、1976(昭和51)年に改築されたもののようです。
創建の歴史については不詳ですが、「旧社殿は1848(弘化4)年6月に藩費を以て再建され、明治10年3月21日宮崎神宮摂社に列せられている。」と同サイトには書かれています。
この神社が建っている土地は、西の彼方に高千穂の峰を望み、近くには大淀川が流れる高台の一角にあり、一帯に下北方古墳群や平安時代頃の役所跡など遺跡が数多くあることから、古代から栄えたエリアであることは間違いなく、神武天皇の住居跡だったという伝承も、宜なるかなと思えます。
今では住宅地の中にある小さな神社ですが、そういう古の日々に思いを馳せつつ、2015年の新年の初詣の地としてお詣りしてみるのもいいのではないでしょうか。