木城町に移住して4か月。早くも行く先々で「木城顔だね」と言われるほどに吸収率のいいBassyです。鬼女(きじょ)顔って言ってないですよね?(汗汗)
木城顔ってなんやねん?…と疑問を抱きつつ町に受け入れられていることも感じている昨今ですが、木城町の事も百済王伝説も神道も無知なまま、歴史と伝統ある「師走祭り」に供奉人としてお供することになり、2泊3日の行程を丸ごと体験してきましたのでレポートいたします。
師走祭りって?
木城町にある比木神社には、西暦660年に滅亡した百済国から流れ着いた王族の一人・福智王(ふくちおう)が祀られています。
この王族一家、父・禎嘉王(ていかおう)は美郷町南郷に、母・之伎野妃(しぎのひ)は高鍋町に離れて暮らし、王族一家亡き後も土地の人々に信仰されている、と(一夜漬けで)学びました。
今でも王族一家にまつわるお祭りは多くあるそうですが、比木神社(木城町)の息子・福智王のご神体と、神門神社(美郷町)の父・禎嘉王のご神体が年に一度対面する、それが「神門御神幸祭(師走まつり)」です。
1457年にはすでに行われていたといわれる古い祭りであり、行政区をまたがって神幸する点、御神体である袋神を奉じる点が、他に例を見ない祭りといわれています。
木城町Webサイト「比木神社」より
師走祭りは毎年、1月下旬の金・土・日の3日間行われます。
初日は「上りまし」として、木城町の比木神社を出発し約二十三里(約90km)ほどをゆかりのある地で禊(みそぎ)などの神事を執り行いながら巡行し、美郷町では壮大な迎え火の中を歩いて、神門神社に到着します。
中日は故事にならった祭事を執り行い、各所で神楽を奉納し、夜には境内で夜通し神楽を舞います。
最終日は「下りまし」としてお別れの儀式をして、涙を隠すためにへグロ(墨)を塗り合ってのお別れの行事があります。
2023年はコロナ禍が続いて開催自体が危ぶまれたものの、一部を省略や縮小した形にして、3年ぶりの3日間開催となりました。
初日:上りまし
初日は、朝7時に比木神社に集合して御神体のお出かけ準備の神事から始まり、王族一家が流れ着いたと言われる日向市金が浜まで行って禊を行い、そこから一路美郷町へという行程。
昭和の頃まではこの旅程を9日ほどかけて歩いて行っていたようです。ほぇー。
とにかく歩く、たくさん歩く。
事前にパンフレットを読んだり前任の方に聞いてはいたので、行くことが決まってからウォーキングやジムなどで歩くことを意識していましたが、パンフレットや写真ではわからなかった険しい登りもあったりで、体感しないとわからないことばかり。
至近距離で神楽を見たり、地元の方においしいものを振舞っていただいたり、とにかく初めて見る・体験することばかりです!
王族の次男・華智王(かちおう)を祀る日向市東郷の伊佐賀神社で、比木神社の御神体と神門神社の御神体が1年ぶりに再会し、一緒に美郷町南郷へと向かいます。
険しい上り坂を経て、伊佐賀神社に到着。足ガクガク、息絶え絶えです。
燃えさかる迎え火の中を神門神社へ
南郷に入ってから、父・禎嘉王の眠る「塚の原古墳」で神事を行い、川で禊をし、傘取り神事を行い、初日のメイン、迎え火の中を歩みを進めます。
例年なら30基ほど、今年は規模縮小で23基でしたが、道の両側で燃えさかる櫓の間を進みます。
この日のために何日も前から迎え火を焚く櫓を組んでくださった地元の方々の温かさや、見物客の皆さまの熱い視線、町全体の温かさを背に受けて、半纏を焦がすほどの熱量の中を、一行は神門神社に向かいます。
無事に到着したら、夜の神事が行われ、「直会(なおらい)」と言われるお食事会に移ります。
各地での地元の方との温かいふれあいや、ここまでの行程で家族も同然になってしまった比木神社の神職や氏子さんたちとの時間が楽しすぎて、“時が止まればいいのに!”と思っていましたが、直会の頃には神門神社のご一行とも打ち解けて、実家に帰省した親戚一同との熱い夜!みたいな感覚になっていました。
お酒が飲めたらそれはそれは楽しい時間なのでしょうが、ワタクシ、見た目に反してアレルギーなほどノンアルコール体質でして(汗)。
それでも皆さまに仲良くしていただき、「ガハハ」と笑う夜は更けていくのでした。
中日:祭典・舞明かし
2日目となる中日は、地元の豪族で王を助けたと言われている「ドンタロさん」の塚で舞ったり、農・畜産の神様「山宮さま」の前で舞ったり、洗濯行事をしたり、石塚に石を運んだりと、神事が粛々と執り行われていきました。
そして南郷に夜の帳が落ちるころ、…社務所で「直会」をしていました。適度なお酒と、おいしいごはんで体を温めて、長丁場に備えます。
滞在中に私たちの食事の世話をしてくださった社務所のお母さん。
南郷に嫁いできて50年もの間、毎年師走祭りのまかないを担当しているのだそうです。
お母さんが作り出すお料理の味が優しくておいしくて、長い間祭りが続いた秘密のひとつでもあるのではないかと想像します。
お母さんのごはんが恋しくて。思い出すと涙が出る…。
そして夜神楽
「舞明かし」というフレーズから、だいたいの予想はつくと思いますが、夜通し神楽を奉納するのです。
例年だと19時から24時までだそうですが、今年は縮小開催のため22:00まででした。
今までの人生で、こんなに至近距離で神楽をみることなんて無かったので、つい見入ってしまいます。
それも、もうすっかり仲良くなった「感覚的親戚のにいちゃん達」が真剣に舞っててかっこいい…。
氷点下の気温の中、囲炉裏ではお餅が焼かれ、食べものやお酒がふるまわれます。
こうして、最後の夜は更けていきました。
最終日:下りまし
最後の朝、起きたら廊下にでっかい鯛がででーん。
お別れ式で使う儀式用の焼き魚です。これも、お母さんが早朝から炭火でじっくり焼いてくれたそう。
夜更かしして早起きできなかったので、お手伝いしなくてごめんなさい、お母さん(泣)。
楽しかった3日間の神門神社暮らしとも、とうとうお別れの行事です。
お母さんが炭火で焼いてくれたおさかなを一口ずつ取り分けていただき、お神酒をいただき、「おいしー!」って油断していたところに…
隠し持っていた墨で顔を真っ黒に塗られる「へグロ塗り」の儀式が始まります。
これはお別れの涙を隠すために、竈(かまど)の煤(すす)を塗った事が始まりだそうです。
顔が真っ黒なまま、最終儀式「オサラバ」へ。
この「オサラバ」の言葉は、単純に「ばいばーい」って意味かと思ってましたが、韓国の言葉で「サラ」=「生きて」、「バ」=「また会おうね」という意味が含まれてるそうです。
こんな細やかなところにも距離を超えて藩を乗り超えて想いを乗せてくれる南郷の人々のやさしさが隠されていたとはね。もうへグロなんか全落ちするレベルで号泣ものです。
そして、昔、塚があったといわれる場所で最後の神事。
ご神体に笠をつけて、神門神社の神職たちとお別れです。
「ばいばい、またねー」
「おねえちゃん、またねー!」
って、名前を呼んでお別れを惜しんでいただいて、“受け入れられてた!“っていう温かさを感じ、“また南郷行きたい、来年も絶対お供したい!”って心から思いました。
きっとこの温かさが、1300年も続く歴史の重みであり、現代まで継続する秘訣だったのではないかと思います。
南郷で受けた温かさは、いつかどこかで誰かに温かくすることで「やさしさの伝播」ができたらいいなぁと、3日間で学びました。
千葉県北東部出身、本職は看護師。地方移住に憧れて東北地方を目指すも慣れない雪で盛大に転倒し断念、2020年に温暖な九州へ移住。大分県で花火撮影をメインとした観光関係のカメラマンを経て、2022年9月に地域おこし協力隊として児湯郡に移住。元々てげてげな性格が宮崎の風土にマッチし、今では立派な宮崎人。「真面目にふざける」がモットー。
花火、プロ野球、ご当地アイドルを好むカメラマン。