皆さんこんにちは。
久しぶりの寄稿となりますが、宮崎市で「染織(そめおり)こだま」という着物店を営む児玉健作です。
NHK大河ドラマ
画像出典:NHK「いだてん」公式SNSギャラリー 画面キャプチャ
突然ですが皆さん、NHKの大河ドラマ、ご覧になっていますか?
昨年は、終盤で宮崎もその舞台となった「西郷どん」で盛り上がりましたが、年も明け平成の終わりとなる2019年は、隣県熊本の玉名郡和水町出身の金栗四三が「いだてん」が始まっています。
人々を通して時代を描き、時代を通して人を見つめる大河ドラマ、毎週日曜日を楽しみにされている方も少なくないのではないでしょうか。
戦国時代から江戸時代までが描かれることが多い大河ドラマですが、今回は昭和時代が舞台となる2度目の作品ということで、どんな物語がこれから紡がれていくのか楽しみですね。
さて、大河ドラマの舞台ともなると、観光面でも大きな効果がありますが、一方で地域の先人に思いを馳せるという、またとない郷土教育の機会となります。
憧れの偉人のある地域は強靭です。色んな意味で、大河ドラマの舞台が地元だったらなあと思わずにいられません。
私たちの宮崎県は、際立って強い戦国武将がいたわけでもなく、幕末の著名な英雄を輩出したわけでもありません。ドラマになりそうな偉人を探していくと、神話の時代までさかのぼってしまうよ、などという笑い話だってあるくらいです。
もちろん近代では、ビタミンの父と呼ばれた高木兼寛や日露講和条約締結時の外交官小村寿太郎など、全国的な知名度を持つ偉人もありました。今に続く歴史の立役者としては、文句のない功績です。
また、個人的な押しでもある幕末から西南戦争にかけて生き抜いた若き俊才・島津啓次郎は素晴らしい人物ですが、大河ともなると、その21年の生涯はあまりにも短いものです。
やはり宮崎での大河ドラマは無理なのでしょうか・・・。
高鍋藩の名君・秋月種茂公
いえ、そんなことはありません。
1700年代後半から1800年代はじめにかけて、日向国高鍋藩第七代藩主として黄金時代を築き、名君と呼ばれた秋月種茂(たねしげ)公こそは、宮崎らしい大河にふさわしい主役だと考えます。
1743(寛保3)年11月に江戸麻布の高鍋藩邸で生まれた種茂公は、若くして俊英の誉れが高く、1760(宝暦10)年7月、満16歳の時に高鍋藩の家督を継ぎ、第七代藩主として翌1761(宝暦11)年に初めて高鍋にお国入りしました。
以後、1788(天明8)年11月に家督を譲って隠居するまで、その実績は、枚挙にいとまがありませんが、主なものを書き出すと、
■身分にかかわらない人材登用
■緊縮財政を敷く
■養えない赤ん坊を殺す「間引き」の禁止
■3人目の子供から支給される児童手当の創設
■出生率向上のために優秀な産婆を招聘
■疾病対策として朝鮮人参の栽培と民への支給
■藩校明倫堂を設立(1788年)。武家の子弟のみならず、民衆にも門戸をひらく
■飢饉に備えて備蓄米や種籾の備蓄を進める
■農業用水の確保
商品作物、燃料、肥料、木材の産出促進 医療、福祉、教育、災害対策、産業振興など、現代でも驚くばかりの施策を実施しています。
秋月種茂公は、1819(文政2)年に77歳で亡くなりましたが、没後は「清観公」として親しまれ、また「鶴山(かくざん)公」という号も持っています。
弟は上杉鷹山公
わざわざ号をお知らせしたのは、鶴山公が、出羽国米沢藩第九代藩主として財政再建を果たし、歴史上に名を残す上杉鷹山公の兄君であるからです。
鷹山公は、幼名を松三郎と言い、秋月種茂公の8歳下の弟として、1751(寛延4)年に同じ江戸麻布の高鍋藩邸で生まれました。
1760(宝暦10)年に米沢藩第八代藩主上杉茂定の養嗣子となり、上杉治憲(はるのり)と改名した後に、1767(明和4)年に家督を継いで第九代藩主となりました。
現代にも通じる改革を果たした兄弟の物語
「鷹山」は隠居後の雅名ですが、この名が後世に広く知られるようになったのは、その藩政改革、再建の功にによるものですが、鷹山公が採った施策の多くは、高鍋藩で兄・種茂公で行った施策と共通しているものが数多くあります。
鷹山公は兄を生涯尊敬し、
「兄の才識は余のとうてい及ぶところではない。幸い世に知られるに至ったのは、上杉の家名と大藩であるに留まるのは恥ずかしい」
と言ったことがあるとのことです(参照:『無私の精神の系譜 志に生きた高鍋人』和田雅美著 鉱脈社)。
NHKの大河ドラマは、国や武将同士の戦や、ある意味革命である幕末の戦いを軸に人間ドラマが描かれることが多いのですが、飢えや病、貧困を相手に、倫理と教育、そして経済を武器にたたかった鶴山公と弟鷹山公、このお二人をW主役に据えたお話はいかがでしょうか。
世界に知られる上杉鷹山公に兄君があり、同様以上に素晴らしい治世を敷いた。
この一つだけでも、「知らないものを知りたい」ヒトの知的好奇心を刺激するには十分です。
温故知新
ただ、ドラマ化のための条件は、私たちが郷土の先人の努力や苦労、その培ってきた成果を知り、互いに伝え合うことに他なりません。
大きなうねりとするにはまだまだ、高鍋の皆さんや高鍋高校出身の皆さんだけでは足りないのです。
地球上、政治も経済も混迷をきわめる時代だからこそ、愛と勇気に満ちてほしい。
宮崎人の誰もが秋月鶴山公を知り、誇り、これを励みに努力を惜しまなければ、九州の宮崎、東北の山形とが兄弟のように手を取りあって、壮大なドラマを実現させることが出来ると、心から信じています。
【参考文献】
『無私の精神の系譜 志に生きた高鍋人』和田雅実著(鉱脈社)
『高鍋藩史話』安田尚義著(鉱脈社)
宮崎好き、神話好きの着物屋。高校を出て4年半、奈良県で過ごして帰省。バス会社の事務員から家業を継ぐ。
学生時代は考古学を専攻。今でも人生を豊かにすること、仕事に深みを持たせることとして、それを活かしております。
宮崎市街地その他で、着物でブラブラしている男を見かけたら、声をかけてください。