メガネ男子のDiceです。
さて皆さん、10月10日というと何の日かご存知でしょうか?
そう、「目の愛護デー」ですね。
その「目の愛護デー」に訪れるべき場所というと、思い浮かべるのはどこでしょう?
宮崎人なら、まず思い浮かべるのは宮崎市生目にある「生目神社」ではないでしょうか。
古くから「日向の生目様」と呼ばれ、眼病に霊験あらたかな神社として信仰を集めているこの神社に祀られているのは、品陀和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇)と藤原景清公。
その藤原景清(平景清)が抉った両目を祀ったのが神社の起源とも伝えられております。
それでは、その藤原景清なる人物についてご存知の方は、どれくらいいらっしゃるでしょう?
その答えは、宮崎市下北方にありました。
史跡 景清廟
昨年の冬にご紹介した皇宮神社から北へ300mほどの所、平和台を望む閑静な住宅地の一角に、「景清廟」という史跡がひっそりとたたずんでいます。
「景清廟」について『宮崎県大百科事典』(宮崎日日新聞社刊 1983年)を引くと、次のような記述があります。
廟とは「霊を安置する堂」のことで、宮崎市下北方町の景清廟も景清の位牌(戒名・千手院殿水鏡神儀(せんじゅいんしでんみずかがみしんぎ)景清大居士)と遺愛の琵琶を祀ってある。1185(文治1)年3月24日、源平の合戦は長門の壇ノ浦で終焉となった。この時悪七兵衛平景清は戦禍の中から脱出して、すきあらば源氏の大将源頼朝を討とうと報復の機を待っていた。1196(建久6)年頼朝が奈良東大寺の供養のため上洛したとき、景清はこの頼朝をねらって館の周辺を徘徊していて警護の武士に捕らえられた。景清は流人となり日向国宮崎郡下北方へ日向勾当として草庵をむすんだ。仏門に帰依したが、現世の煩悶が絶えなかった。「拙者にはこの健眼が迷いであるぞ」と景清は自らの両目を抉って投げた。景清が眼を抉った地を生目といい、生目神社として祀ってある。また景清の娘人丸(ひとまる)は鎌倉から下北方へ訪ねて盲目の父を看護って1206(建永1)年9月24歳で病没した。娘に先立たれた景清は霧島神社参拝の帰途、1214(建保2)年62歳で没した。→生目神社<比江島重孝>
平景清、ひとかたならぬ人物だったようです。
景清廟縁起
景清廟の門をくぐると、縁起が書かれた立て札がありました。
写真ではわかりづらいので文字に書き起こすと、次のように書かれています。
景清廟(縁)起
景清公と娘人丸姫の遺骸をまつる
回顧すれば公が壇の浦の渦中より脱して頼朝を亡さんと心膽を砕かれしも果たさず遂に畠山重忠に捕えらる
頼朝は公の武勇非凡なるを惜しみ己に仕えむことを懇望す
公固く辞して直ちに両眼を抉りて曰く此眼あらば貴公を殺さむの念常にやまず然るに今は盲目たり最早敵対する念なしと
ここに於て頼朝の命により日向の勾當となり文治二年十一月下向あ(り)時に齢三十二才なり此の地にあるや深く神佛を信仰し帝釈寺の再興、岩門寺、正光寺を建立せり
建保二年八月十五日行年六十二才にて没す
法名千手院殿景清水鑑大居士と称す
下北方町区会
壮大な歴史ロマンを感じさせますね。
廟とその周辺
これが門をくぐって右手奥にある廟本体です。
この中に位牌と愛用の琵琶が祀られています。
廟の左手には、景清とその娘・人丸媛の慰霊する「景清父娘慰霊塔」があります。
その右横には、「景清公之塚」と刻まれた石碑が。
倒れかかった卒塔婆には、景清の戒名が書かれていますね。
慰霊塔の左隣には、景清の娘・人丸姫を祀る塚があります。墓石はかなり古いもののようで長年の風雨で摩耗しており、後年建てられた覆屋に守られています。
ここからも、かなり古くからこの場所で祀られていたであろう歴史を感じさせます。
覆屋の左隣には、弘法大師堂と薬師如来堂もあったりします。
この建物は、比較的新しいもののようです。
藩境石
廟の周囲を見て回っていたら、これまた面白いものをみつけました。
「従是北 延岡領」と刻まれた石柱です。
近くに、説明文が建てられていました。
藩境石 従是北(これよりきた)延岡領
江戸時代後期、宮崎市の大半は延岡藩が治めていました。この境石は古城村と太田村(大淀)とに建てられましたが、明治になって取り除かれ、今の大宮中学校の所にあった延岡藩の役所に移されたものでしょう。
その後「人丸塚」に覆屋を作る時に土台として使われていました。
このことに気づかれた富永武義氏は、重要な文化財として、別に保存すべきだと提唱されていました。ようやく今年になって「田嶋建設さんのご好意により、大野金徳さん達のご奉仕で」この地に移して保存することにしました。
このような藩境石は県内で十基くらいしか発見されていません
平成十六年七月二十日
下北方町 東区長 長友宗男
西区長 加賀正高
ここに書かれた「大宮中学校」、実は私の母校でもあるのですが、そこに延岡藩の役所があったなんて全然知りませんでした。
延岡には仕事の関係で住んでいたこともあり、奇妙な縁を感じましたね。
いかがですか?
宮崎市民にもあまり知られていない史跡ですが、地元の人々の間で長い年月、大切に祀られてきたこの史跡、ここでご紹介した意外にも、いろんな発見があるのですが、それは実際に行ってみてお確かめください。
特に、目の神様としてもあがめられている景清公を祀る廟ですから、10月10日の「目の愛護デー」に訪れると、霊験あらたかかもしれません。
場所は、下の地図を参考に。皇宮神社→景清廟→平和台と徒歩で回れる距離ですので、古代から現代までの歴史ロマンを楽しみながら歩いてみるのもいいかも!
【史跡 景清廟】