郷土玩具「うずら車」に魅せられたアーティスト-吉岡恵実


吉岡恵実さん

こんにちは、ライターのヒロです。

宮崎で頑張っている人たちに会いに行くシリーズ、今回は、国富町に平安時代から伝わる郷土玩具の「うずら車」に魅せられ、シルクスクリーン作家のお仕事と並行してうずら車の文化継承に尽力されている、吉岡恵実さんにお話を伺いました。

吉岡さんは、佐土原高校卒業後、 大阪の上田安子服飾専門学校工芸学科を経て帰宮。
2013年に自身のブランド「イロハ」を立ち上げ、シルクスクリーンの作品を制作販売されています。

元々は、専門学校で革の鞄の制作を学んでいた吉岡さん。
しかしながら、布作品への思い入れの深さから、自分で布から作ってみようと思い立ちます。
授業でシルクスクリーンを学んだ事を思い出しながら、独学で試行錯誤を繰り返し、現在の制作スタイルに発展しました。
各地のイベントでの出店も多数重ね、現在は、シルクスクリーンのワークショップも行う人気ぶりです。

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作家として、うずら車と出会う

たくさんのうずら車
画像提供:吉岡恵実

そんな吉岡さんは、結婚・出産を機に、ご主人の地元である国富町に移住。
国富町主催の「ほけだけマルシェ」への出店など地元での活動も行っていく中で、地域に浸透しているうずら車をよく見かけようになります。

工芸作品としてのうずら車の、コロンとしたフォルムと、最小限ながらインパクトのある絵柄に、見れば見るほど
強く興味をそそられたのです。
赤と黒の2色のみの、シンプルで濃淡もないが味のある絵付けに自身のスタイルを重ね合わせた吉岡さんは、やがて
これを自分で絵付けしてみたい!と思うようになります。

町役場に、絵付けについて誰に許可を貰えば良いか聞いて周り、当時うずら車の唯一の制作者だった小山五雄さんに出会うのでした。
小山さんの手捌きは、今でも鮮明に思い出せるほど魅せられるものだったと、吉岡さんは語ります。

うずら車のイラスト
画像提供:吉岡恵実

そして、 「うずら車を広める為ならイラストも描いていいよ」と、小山さんと薬師寺の福嶋住職に許可を得る事が出来たのです。
地区を代表するイベント「ほけだけマルシェ」のアイコンになっているうずら車の印象的なイラストは、吉岡さんの手によるものです。

うずら車とは?

つがいのうずら車

さて、うずら車について、少し歴史を紐解いてみます。
木っ端を荒く削って鳥の形を模し、車輪を付けた郷土玩具は、九州各地に「雉車(きじぐるま)」として伝えられていますが、その伝承は、奈良時代に朝鮮半島からの渡来人が伝えたものであるとか、壇ノ浦で破れた平家の落人が伝えたものであるとか様々で、はっきりしたことはわかっていません。
雉(きじ)ではなく鶉(うずら)の形を模した「鶉車(うずらぐるま)」は、宮崎県内に佐土原町の久峰観音のうずら車と国富町の法華嶽薬師寺のうずら車の二つが伝承されているほか、熊本県人吉市や福島県二本松市にも残っています。

このうち、「法華嶽うずら車」は、国富町で1200年前から伝わるとされ、薬師建立の際に朝鮮半島から帰化してこの地に定住した翁が、100歳の誕生日に、仏像を造る際に副産された木材の破片を集積して作り、近所の子供達に贈与したのが始まりとか、とある高僧が鶉に似た柱の切れ端を見つけ、それに目や羽根の模様を描くと、鶉の鳴き声を発したという説が伝えられています。
最初は車輪はありませんでしたが、時代の流れとともに、子ども達に遊ばせるように車輪がついて現在の形になったとされています。
宮崎に、そんな歴史のある玩具が遺されているのですが、このように素朴な玩具は子どものおもちゃとして使われることはなくなり、民芸品として親しまれるだけになっています。

法華嶽うずら車と久峰うずら車は、1983年に宮崎県の伝統工芸品に指定されました。

カラスザンショウ(イヌタラ)
原料となるカラスザンショウ(画像提供:吉岡恵実)

材料となるのは、カラスザンショウという木で、宮崎の山間部ではイヌタラとも呼ばれます。
タラの名が付いていますが、食用にするタラの芽が生えるのはホンダラと呼んで区別されています。

樹皮にあるトゲが、なんとなく鳥の羽毛に見えるのが特徴です。
トゲのある樹皮を剥がして加工する事から、トゲ=災いと例え、厄除けのお守りとして用いられたという言い伝えがあるのです。
また、うずらはその一生を夫婦で添い遂げる事から、夫婦円満のお守りとしても珍重されています。

伝統文化の継承者

小山さん(右)と松元さん(左)
小山五雄さん(右)と法華嶽うずら車保存会の松元修会長(左)(画像提供:吉岡恵実)

かつては、町内の各集落でうずら車が作られ、毎年2月の法華嶽薬師寺大祭の日には、それぞれ表情や模様の違うたくさんのうずら車が参道で販売されていました。

しかし、イヌダラの木は非常に硬く、加工するのに体力と技術を必要とすることから、少子高齢化の波に押されて作る人が少なくなり、ついに小山五雄さん(75)ただ一人になってしまいました。
これまでの長い伝統を守り続け、今日まで絶える事なくその歴史を守ってきた小山さんは、その功績が認められ、国家資格の「伝統工芸士」の認定を受け、2024年2月に河野俊嗣宮崎県知事から認定証が手渡されました。

ただ、小山さんも70代半ばを過ぎ、一人では文化の継承に不安が出ていたところに、同町在住で宮崎県地域づくりネットワーク協議会のコーディネーターでもある松元修さんが跡を継ごうと名乗りを上げ、他の仲間とともに「法華嶽うずら車保存会」を結成。
松元さんが、小山さんから木からうずら車を削り出す技術や絵付けの技法を受け継ぐとともに、保存会としてうずら車の周知活動に取り組むことになりました。

法華嶽うずら車の文化継承へ

法華嶽うずら車保存会の皆さん
画像提供:国富町役場

お話を吉岡さんに戻します。
うずら車のイラストを手掛けて数ヶ月後、うずら車保存会が立ち上がったと聞きつけ、吉岡さんは入会を嘆願して認められました。
それからは、うずら車の歴史や資料を調べたり、郷土玩具を扱う県外のお店に赴いて、知識を深めていきます。
興味を持って学び続ける事で、自身の作風にも良い影響をもたらすのでした。
線の運びや細さは繊細ながら、色味はシンプルでインパクトがある。全体はモダンでありながらも、和の工芸品にも近い要素を感じます。

法華嶽うずら車保存会は 現在5名で活動しており、小学校に出かけて絵付け体験を行ったり、町内外のイベントへ出店する等、法華嶽うずら車の保存活動を行っています。
その甲斐もあって、先日は、高校生も自身の希望で新たにメンバーに加わったのだとか。

活動拠点「うずら舎」

うずら舎入口


法華嶽うずら車保存会は、2024年9月に、活動の拠点となる「うずら舎」をオープン。
保存会メンバーが本業の傍ら、 月に数回営業日を設けて、うずら車や関連グッズの販売を行うなど、普及活動を行っています。
また、うずら舎はレンタルスペースの機能もあり、地域の文化交流や発展にも貢献しています。

うずら舎で販売されている関連グッズ

2025年2月8・9日開催予定の法華嶽薬師寺境内にて行われる「薬師寺大祭市」においては、絵付けのワークショップや、せんぐまきも行われ、保存会にとっても活躍の場となりそうです。

これまでよく知りませんでしたが、身近にこんなに深い歴史が眠っていたんですね。
小さく愛くるしいこの歴史遺産、ぜひ手に取ってご覧ください。
法華嶽うずら車は、うずら舎やイベントのほか、国富町役場でも購入できます。

【うずら舎】
住所:東諸県郡国富町本庄4544-2 → MAP
メールアドレス:uzuraguruma.kunitomi@gmail.com
Instagram:https://www.instagram.com/kunitomi_uzurasha/

ヒロプロフィール寄稿者:ヒロ(境田宏明)
「バー アルコリズム」オーナーバーテンダー。
シェラトンのバーで15年勤務後、2022年ニシタチに開業。ソムリエ・きき酒師・焼酎きき酒師・酒質鑑定士の資格を持つ。
2023年のG7農相会合では、ニシタチを代表するバーテンダーの内の一人として、レセプションでの振る舞いに2日間参加。
カクテル創作のワークショップや屋外イベントも展開中。

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この記事を書いた人

県内各地に散らばる寄稿者用の統一アカウントです。
宮崎県内の地元の人だからこそ知っているおすすめの「グルメ」「観光」情報を軸に、地域の安全安心につながる情報の提供にも取り組んでいきます。

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