2年半ほど前に、綾へ移住された福留和大さん。
「宮崎は、半農半Xにぴったりの土地」と言われることもありますが、福留さんは、プロのテノール歌手でもあり、ドメニコ自然農園もされている実践者。
今回は、そんなユニークな生き方をしている福留さんのお話を伺ってきました。
突如、わいてきた音楽への思い
高校3年生のときに、ブラスバンド入っていた福留さんは、「音大にいきたい」と突如、思ったんだとか。
それまでは獣医を目指していたものの、急遽、進路変更をしてピアノと歌を猛特訓の末、音大に入学しました。
「神の啓示があった。後になっておもうと、貧乏神だったなと思うけれど(笑)」とおっしゃっていました。
音大に入ると、周りは幼い頃から音楽の勉強をしてきた人ばかり。
ほんのすこし勉強して敵うはずもなかったけれど、歌はとっても面白かったといいます。
イタリア語をすこしずつ教わりながら、歌詞の意味を知り、歌に深みがでてくる中で歌う。
知らないことをやるのが、とにかく楽しかったそうです。
ウィーンとベネチアに自費留学
(写真:ヴェネツィアで師匠と一緒に)
大学を卒業後、アルバイトしながら26歳でウィーン、32歳のときにベネチアに自費留学をして学びを深めてきました。
「大変なこと多いけれど、ぜんぶ楽しかったな。やめようと思ったことは、これまで一度もない。」
経済的にはとっても大変だったけれど、「行ってよかったと断言できる」時間だったそうです。
これまでたくさんのコンサート、オペラに出演し、テノール歌手として活躍している福留さん。
みんながにこにこと聴いてくれるときが最も嬉しいそうです。
観客が感動するときと、しないときの差って?
「歌っている人が何を考えてるかの違いが大きいと思う。
自分が一番いい声をだすことばかり考えているときは、技術に頼ってしまっていて、自己満足の世界になりやすい。
詩と音楽を大事にして、自分の我をとおりこして歌っているときに、魂がふるえるのだと思う。
何を思っているのかが、声にのってくる。」
だからこそ、福留さんは、舞台にたつと技術のことは忘れて、音楽を大事にしているんだそうです。
ずっと音楽一筋の福留さんが、農業に魅了される理由とは?
結婚をして子供がうまれ、自分の子供達に食べさせるのに、適当なものが世の中にないことに愕然としたという福留さん。
「なければ、自分でつくるしかない」と一念発起。
綾の農家さんの自然農法を学びながら、ご自身も畑で作物を育てています。
「自然農法は、大地の力を信じ、種をまき放っておけば、後は自然が勝手にやっている。
農業をスタートして、自然の力を、人間が途中で邪魔してしまうだけなんじゃないかと感じるようになった」とおっしゃていました。
「好きを大事にしないと続かない。僕は、自分の好きに忠実なだけ」と笑う福留さん。
テノール歌手と農業。
まったく違う分野でも、共通しているのは、ただ面白いからやっているだけというシンプルなものでした。
「一生懸命生きていたら、なんとかなる!」
福留さんのレッスンを拝見させていただくと、とにかく楽しそうに歌をうたい、教える姿が印象的でした。
上手に歌うことよりも、楽しく歌うことを思い出させてくれる時間でした。
「一生懸命生きるということは、とにかく、生きるっていうこと。
子供が大きくなったときに、父親はむちゃくちゃやったけど、いつも楽しそうやったなといわれる人生を送りたい。」
と話してくださいました。
福留さんのこれからやりたいことは?
「さらに、音楽にを力いれてやっていきたい。
宮崎は、あまり舞台芸術をしていないので、東京の仲間をよんで小規模な公演からやりたい。」
やりたいと思ったことは、とことん自分に正直に実現する福留さん。
きっと、この夢も近い将来、実現することでしょう。
私ももっともっと好きに忠実に生きよう。
そう感じたインタビューの時間でした。福留さん、ありがとうございました!