その輝かしい功績について、まとめてみました。野球ファンはもちろん、野球の事はあまり知らないという方もぜひチェックしてみてください。
日向市内で育ち、野球と出会う
青木選手は日向市で生まれ、日知屋小学校で全日屋スポーツ少年団に入り、6年間野球を続け、投手として県大会では優勝に導いたとのこと。
その後、富島中学、日向高校と進学し、日向市内の教育機関で、学びながら野球の腕を磨いていったようです。
日本での活躍~ヤクルト時代~
2003年にヤクルトスワローズに入団した青木選手は、背番号23番。
徐々に頭角を現し、2005年には新人王にも選ばれました。2006年にはワールド・ベースボール・クラッシックの日本代表に選出され、MVPを獲得。同じく2009年にも同大会の選手に選ばれ、大会ベストナインにも選ばれたのです。
その活躍の高さから、当時の宮崎県知事である東国原元知事から宮崎県民栄誉賞を受賞されたのも記憶に新しいのではないでしょうか。
海外での活躍~メジャーリーグ時代~
2012年にミルウォーキー・ブルワーズに入団した青木選手は、相性はニンジャ。
メジャーリーグ入団後初となるランニング本塁打や、メジャーリーグで活躍する数々の日本人の中では史上初めての快挙となるサヨナラ本塁打などを記録したことでも注目を集めました。
ロイヤルズ移籍後にも満塁本塁打などさまざまな記録を打ち出した選手として知られています。
海外での功績や評価が高く、なんといっても、移籍した先であるロイヤルズで大きな活躍を見せた選手として人気が急上昇しており、争奪戦の可能性もあるとの報道も。
奥様はアナウンサー
野球界では多い、アナウンサーとの結婚。食事管理や、知性の高さなどから選手を支える大事な役目を担っているのではないでしょうか。青木選手の奥様も元テレビ東京のアナウンサー。
支えてくれる人がいるからこそ、野球に力を注げるのかもしれませんね。
宮崎が生んだメジャーリーガー
いかがでしたか。日向市出身の青木選手は、日知屋小学校、富島中学校、日向高校と、日向市内で生誕から思春期までを過ごしました。
日向市内は教育施設が充実しているので、地元で教育や、現在の活躍の源となる野球に励めたのは、素晴らしい環境が整っていたからではないでしょうか。
しかも、宮崎県民栄誉賞にも選ばれたその活躍は、まさに宮崎県民の誇り!今後も目が離せない青木選手の活躍!遠く離れた海外での活躍を今後も注目が集まりそうですね。