寄稿者:児玉健作宮崎好き、神話好きの着物屋。高校を出て4年半、奈良県で過ごして帰省。バス会社の事務員から家業を継ぐ。 学生時代は考古学を専攻。今でも人生を豊かにすること、仕事に深みを持たせることとして、それを活かしております。 宮崎市街地その他で、着物でブラブラしている男を見かけたら、声をかけてください。 「禊の聖地「御池」と、時の流れに隠された秘密を探る!(前編)に引き続き、宮崎に眠る神話と歴史のお話です。 『古事記』に記されたイザナギノミコトが禊(みそぎ)をされた地は、チクシのヒムカのタチバナのオドのアワキハラ。 速くもなくゆるくもない、丁度よい流れのなかに身を置かれてのことでした。 ところが、禊の地と現代に伝えられる場所はなんと、流れのない「池」でした。 御池(みいけ・みそぎが池)と称されるその場所は、果たして正しいのか、あるいは・・・? 時を超えた、その秘密に迫ります。 さて、前回の記事の補足ですが、禊伝承地の「御池」は、都城市と高原町の間にある御池とは、また別です。 宮崎市の「市民の森」の北側、市民の森病院の南側、シーガイアの西側にあります。 ここでもう一度、御池をご覧ください。 一般的に、御池を訪れる人は、上の写真のように縦長に、ご覧になっているのではないでしょうか。 また、観光写真などでも池を縦長におさめられている場合がほとんどです。 (まあ、形からして収まりやすいですからね) そして、次にこの地図をご覧ください。 初めてそれに気づいたとき、私はアッと声をあげました。 そして脳裏に浮かんだのが、この光景です。 旧オーシャンドームの正面から西側に延びる道路と、 宮崎ガスさんのガスタンク付近。 ここをはじめ、海側から内陸に至る約2kmにわたって、ゆるやかな坂をのぼって、くだって、のぼって、くだって・・・。 この形状は、「海岸段丘(かいがんだんきゅう)」と言われるものです。 崖になっているような顕著な高低差は無いものの、時の流れのなかで出来るこれこそ、「海岸段丘」。 すなわち、かつての波打ち際の痕跡だったのです。 前編でふれた「縄文時代の海面上昇(縄文海進)」と「弥生時代の海面降下(弥生海退)」によって形成された、古代の海の記憶。 海岸線移動のしるし。 御池は、縦長に見るんじゃない、横長だったんだ! では、御池は昔の海岸線? だから禊の場所? いえ、これだけでまだ結論を出すには早いというもの。 他に何か特徴や手掛かりは無いのでしょうか。 あ!ありました! 「海から生まれ出でる太陽」 1月1日の夜明けに私たちが見ていたものは、初日の出。 「海から生まれ出でる太陽」 そして、シェラトンで恋人たちに人気のコンテンツは、暗い海面を輝き照らす「月の道」。 海原は、太陽と、月が生まれる場所。 太陽・月・海原とは・・・。 もしこれがアマテラスオオミカミと、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトの誕生を示すものなら、御池の近くには・・・ ある!! 住吉神社! 三貴子(さんきし)と呼ばれる、特に尊い神様に先立ち、水の深いところ、中ほど、浅いところで生まれた三柱の兄弟神、海路を司る全国の住吉の神様の「元」たる神社が近くにあるんです! 海で(あるいは海にそそぐ河口のような場所で)禊をしたと仮定できるなら、、 塩を生みだす海、人々がケガレをそそぐ海岸の、塩水にひたされた「真砂(まさご)」が、お清めに使われていることも、遠く遠く、つながりがあったのではないのでしょうか。 また、同じ海岸線の先、青島で行われる裸まいりは、青春の「禊」とも関係があるかもしれません。 海での禊はほかにもあります。 葬送儀礼のなかで、かつて一ッ葉海岸で禊をする風習があったことも、宮崎市歴史文化館の展示で見ることができます。 考えていけば、次々と、「禊の地」推定を固めるような話題が見つかります。 アワキハラ、アオキハラとも呼ばれる一帯、そういえば吉村町の檍(あおき)遺跡は、弥生時代の遺跡で、やはりかつての海岸線に近い段丘にあったはずです。海の文化が。 しかしながら、それでもまだ、神話の世界を探求することは、道遠く、遠く、果てしないものです。 なぜなら、『古事記』のように遺された文章がある一方、「日向国風土記」のように、散逸した文書、これまでの時代の波のなかで、戦火や災害に滅失した史料も少なくありません。 ただ、ほぼ完全な形で残る『出雲国風土記(いずものくにふどき)』にもまた、「弥生海退」の出来事を示唆するエピソードがあります。 現在の島根半島、その隣にある弓ヶ浜半島は、神様が引き寄せてつなぎ合わせた島と、島を引き寄せる際に使った綱であると。 海に浮かんだ島が、いつしか地続きになる驚異の現象。 神様のわざに違いないと、人々は考えたことでしょう。 国引き神話の最後は、神様が杖を突きたて、そこに植物が繁茂する様子で終わっています。 塩にひたされた土地が、次第に植物の生育に適していった様子でしょうか。 神様の時間と、私たちの時間は違うからこそ、親から子へ、孫へと神話は語り継がれることで、次第にその輪郭を現していくのかもしれません。 日本国内とはいえ、古くは違う国、それぞれの土地の伝承をたどると、もしかしたら普遍的な何かに気付くのかもしれません。 『古事記』に記された神話の禊 事実にたどり着くすべはありませんが、様々な痕跡から真実としてあったのだと思います。 私たちの暮らすこの土地は、いかなる歴史が、真実が刻まれた土地なのか。 宮崎を「神話のふるさと」と呼ぶ背景には、一体何があるのか。 日に向かい、新たなる生命の躍動する宮崎。 宮崎市に眠る神話伝承も、とても重要な位置付けのものが数多くあります。 日本書紀編纂1300年の節目である2020年まで4年をきりました。 誰もがより一層の探求心につき動かされ、宮崎を愛し、この土地を知っていただきたいと、心より願っております。 私も、自信をもって、神秘なふるさとを愛して参ります。 テゲツー!会長 長友まさ美からのメッセージ いろんな視点や切り口から、まるでピースを一つひとつ繋ぎあわせていくような紐解き方が面白いなぁと感じました。 次回、御池にいくときには、横から見てみようと思います^^ はるか昔に思いをはせ、古事記を紐解いていくと、新しい発見があるかもしれないですね! 健作さん、大作をありがとうございました!