12月に入り、寒さが増すとともに、夜神楽の季節に突入しました。
宮崎県内には、200を超える神楽があると言われており、県西北部の山間地域で舞われる冬神楽(夜神楽)と、県央・県南の平野部で舞われる春神楽(昼神楽)に大きく二分されます。
趣味が神社参りの竹下、キーーンと寒い冬の夜に毛布にくるまり、夜を徹して神楽を観る楽しさにすっかり魅了されまして、毎年のように神楽を観に出かけています。
今年は高千穂系の神楽との違いを楽しんでみようと、西米良村の『西米良神楽』を堪能しに行ってきました。
人口97万人余の政令指定都市・千葉市とほとんど同じ広さでありながら、森林がその96%を占め、2017(平成29)年10月1日現在の人口は、わずか1,067人という西米良村。
そんな西米良村の中では、米良神社に奉納される『小川神楽』、児原稲荷神社に奉納される『越野尾神楽』、村所八幡神社を中心に狭上稲荷神社、横野産土神社、竹原天満宮、本山・矢村神社で奉納される『村所(むらしょ)神楽』という3つもの神楽が伝承されています。
そして、毎年12月に行われる各神社の例大祭では、33番の神楽が夜を徹して奉納されるのです。
今回は、『村所神楽』が奉納される、横野産土神社(よこのさんどじんじゃ)の例大祭に行ってまいりました。
横野産土神社の神楽は、4年に1度奉納されることになっており、簡単には巡り会えない神楽です。
今年は12月9日(土)の午後7時から翌朝の午前7時頃まで開催されました。
宮崎市内から西都市を経由して、国道219号線を一ツ瀬川沿いに西に向って車を走らせること約2時間。
一ツ瀬ダム湖の縁に沿って、奥へ奥へ伸びる道路を進みます。
途中、携帯電話は圏外となり、スマホで表示していたGoogleマップは使えなくなりました。
初めて行かれる方は、事前にきちんと道順の確認をしてから向かうことをおすすめします。
神楽の会場である横野活性化センターに無事、到着。
さて、神楽の内容はもちろんですが、ここはテゲツー!らしく、夜神楽の裏舞台もぜひ取材したいと、普段は見ることのできない部分を、特別に見せていただきました。
今回の取材に関して、温かく迎えてくださった「肝入り(きもいり)」の皆さん。
左から、中武洋一郎さん、中武一敏さん、那須浩さん、濱砂道太さんです。
「肝入り」とは、神楽を取り仕切る世話役の方々のことをいいます。
今回、特別に入れていただいたのが、この写真の左手、夜神楽の舞台の横手にあるカーテンの裏側です。
舞手の方々の控えの場所かと思いきや、、、
こちらにも神様が祀ってありました。
神楽で使用される道具や、面が祀ってあります。
舞手は、出番の前にこちらで拝礼してから、舞台へと向かいます。
壁の「神社祭典神楽手割」には、舞われる演目の順番と、誰がどの舞を担当するかが書かれています。
皆さん、下の名前で書いてあるのは、同じ苗字が多い村あるあるかな。
神殿の横では、重鎮の方々がくつろいでいらっしゃいました。
こちらの御仁は、皆さんから「長老」と呼ばれている黒木利安さん。
神楽の生き字引のような方です。
長老曰く、「神楽は教科書があるわけではなく、まさに見て舞って伝えてく『伝承』。今と昔じゃ、教え方も変わってきたよ~。」
今は、昔のように強く怒ったりしないそうです。
そして肝入りの方からも、色々とお話をお聞きしました。
舞手である「社人衆(しゃにんしゅう)」は、現在38人。
神楽の時期には、県外の高校に通っている子ども達が戻ってきて、40人超えになるのだとか。
高千穂地区のように、家によって代々、笛や太鼓の役割があるということではなく、社人衆は皆、太鼓や笛は一通り覚えるとのこと。
以前は、それぞれの家の長男が代々神楽を引き継いできましたが、現在は、自由意志で神楽に参加しています。
神楽を舞う時に着用する、「スオ」と呼ばれる白い着物と、神事の時に着用する「狩衣(かりぎぬ)」という色と文様が入った衣装があります。
写真中央見える狩衣は、『彼岸(ひがん)ごもり』と言い、場所も時期も秘密の、女人禁制で行われる厳しい禊(みそぎ)を1週間に渡り行った者しか着用出来ないんだそうです。
この平成の世に、古き習わしが脈々と続けられていることに感動しました。
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