JR日豊本線に乗って、宮崎駅から西都城駅のホームに列車が滑り込む直前、左手奥に周囲の風景とは異質な、異彩を放つ建物が見えてるきました。 ウルトラマン・シリーズに出てくる怪獣のような、妙な生命感を感じさせるこの建物、いったい何なのか気になります。 確かめに行ってみましょう。 場所は、西都城駅からすぐ、南東方向に歩いて5分ほどです。 西側の横手から見ると、扇形に張り出した黒い鉄骨が、建物の外殻を支える構造になっています。 いろんな建物がありますが、こうも構造の鉄骨が主張する印象的な建物は珍しいですね、 無機質な素材なんですが、全体を見ると大きな貝のようでもあり、有機的なイメージを想起させずにはいられません。 正面に回ると、「都城市民会館」の文字があります。 しかし、入口は閉鎖されていて、入ることができません。 東側の横手に回ると、「休館中」の表示がありました。 管理者は、南九州大学のようです。 実はこの建物、都城市の発注により、「都城市民会館」として1966年に完成。 都城のランドマークとして、数々の公演の会場や結婚式場としても活用され、多くの市民に愛されてきた建物だったのです。 しかし、建物の内装にアスベストが使われていることが判明、施設・設備の老朽化などもあって、完成から40年後の2006(平成18)年12月をもって閉館。 文化ホールの機能は、同年7月に同市北原町にオープンした「都城市総合文化ホール」に移されました。 この「都城市民会館」については、2005(平成17)年末に都城市の検討チームが、「速やかな解体」を結論とする報告書を市長に提出、2007(平成19)年9月の市議会で解体が可決されました。 そのままでは、解体撤去される運命にあったのですが、何故、10年後の今もそのまま残っているのでしょうか? 世界の建築史に残る建築遺産! この建物の設計者は、福岡県久留米市出身の建築家、菊竹清訓(きくたけきよのり、1928-2011)。 1959年に黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとする「メタボリズム」(新陳代謝)を提唱し、2000年にはユーゴスラヴィア・ビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれるなど、世界的にも評価の高い建築家の一人なのです。 代表建築は、1970年の大阪万博の時の「エキスポタワー」や1975年の沖縄海洋博の「アクアポリス」など今は現存しないモニュメント的なものから、「江戸東京博物館」(1992年、東京都墨田区)や「久留米市役所」(1994年、久留米市)、「九州国立博物館」(2004年、太宰府市)など様々。 その中でもこの「都城市民会館」は、日本のモダニズム建築、特にメタボリズム建築の代表例として、丹下健三の「山梨文化会館」(1966年)、黒川紀章の「中銀カプセルタワービル」(1972年)などと並んで、建築史の教科書にも登場するほど有名な建築物なのです。 2006年にモダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織であるDOCOMOMO Japanにより「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選定されています。 こうした価値を理解する人々は、解体に異議を唱え、そうした声を受ける形で、当時、都城市に南九州大学の新キャンパスの設置を予定してた南九州学園が、市に対して新キャンパスの付随施設として市民会館を20年間、無償貸与してほしいと申し入れました。 市側は、解体するよりも財政上の負担を減らせると判断。 2007(平成19)年12月に市議会で南九州大学への貸与が可決され、風前の灯火だった建物の命運は、こうして現在に引き継がれることになったのでした。 ドラマですね。 そうしたドラマを知った上で、改めてこの建物を眺めると、本来は命のないはずの建物に、有機的な命が宿っているかのような印象を持ちます。 「都城市民会館」には、今も時折、建築に興味を持つ人が見学に訪れるほか、不定期に見学会なども行われているようです。 こうした経緯や歴史などについては、下記のサイトによくまとめられていますので、参考にしてください。 【参考】 「ヒラカワヤスミ設計所・・都城市民会館のこと」 メタボリズムの殿堂、解体寸前に救世主現る~都城市民会館(1966年)、宮崎県都城市~(日経ビジネスONLINE) 【都城市民会館】 所在地:都城市八幡町3 ⇨ マップ