こんにちは、シュガーです
今回は、私が都会に出る第一歩を踏み出した大阪からのUターン者、高橋邦男さん
徳島での出版社にいて、以前テゲツ-寺子屋でも登壇頂いた藤代さんともお仕事をされていたそうな
それから大阪へ移動して10年
大阪でのUターン体験談を聞いてみます
帰るなら自分だろうと考えていた
大阪で10年働いて、実家の宮崎へ
兄弟の中で話こそないけど、奥さんも宮崎出身だし、帰るなら僕かなぁと思っていました
それに今のうちに帰らないと、10年後、20年後に宮崎に帰っても
仕事が無いんじゃないかと心配もあったので
それで、Uターンを決めたんですが
ここで問題がありました
大阪では宮崎の仕事情報を知るすべが圧倒的に少なかったんです
現在も稼働中のふるさと人材バンクに登録はしましたが
大阪では、ほぼ何もない状態でしたね
それでも、見つけた宮崎の企業
選考の末、今の仕事に転職が決まりました
東京では宮崎で、何が起きているか、どんな働き方があるのか、イメージがつきやすそうです
それと同じくらい、私が居た大阪でも宮崎の情報がもっとあれば・・・と思います
周りにも宮崎県出身者も居ましたので、同じ悩みがあったりするのではないでしょうか
加えて職種によっても宮崎とのつながり方って違うと思ってます。
例えば、横のつながりが少ないお仕事や、IT企業のようなどこでも宮崎の人とつながる事が出来る職種があるように
つながりという面では職種で差があると思います
そのあたりのフォローも出来たらいいですね
宮崎には帰ってきてよかったと思っています
生活の豊かさで言うと、住みやすいし仕事もしやすいし
ご飯は素材から美味しい
そして、地元の宮崎に帰ってこれたこと、この場所に居れることへの安心感がありますね
それに勢いある人が多いなぁ!と思ってます
人口比率的に、バケモノ率が高いです
バケモノと呼ぶと失礼かもしれないので(笑)バケモノのようにに勢いある人が顕在化している
しかも公務員の人でもバケモノがいるぞ!!という感覚です
人が活きている証拠ですね
前職の経験から、今の仕事まで編集者として仕事をしています
これからは宮崎の良いところの価値をちゃんとわかって、中も外も、宮崎の良さがわかるようにしていきたいから
編集が得意なのでそれを使って伝えたい
編集者の仕事は、雑誌、メディアの編集だけでなく、街、人の編集も仕事と思っています
大阪の人、東京の人、そして何より宮崎の人に、もっと宮崎の魅力を伝えていきたいですね