参照元:ひむか神話街道
宮崎県に根強く語り継がれる百済王の不思議な伝説。それは、朝鮮半島の古代国家「百済」から王族が日本に亡命、日向の国に漂着したとする伝説です。この伝説にまつわる神社を紹介します。
日本の神社は、神話に登場する神様を祀ることが一般的ですが、「神門神社」は、国造りの神とは別に百済の禎嘉王を祀っています。毎年1月には、禎嘉王と福智王の親子対面の祭り「「師走祭り」が行われ、神社本殿は、国の重要文化財の指定を受けています。
周囲を杉や雑木が生い茂る山のなかにひっそりと佇んでいます。神門神社には、長い間守られている百済王の秘宝があります。
住所 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷神門
アクセス 日向市駅から車で
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百済王が田野の里に入った時、村人が建てた御殿の跡。王は、穏やかに暮らしていましたが、ある時、愛馬とともに井戸に落ち、その生涯を終えました。後に村人が、王を偲び、宮を建てたと伝えられています。
住所 宮崎県宮崎市田野町甲2793番
アクセス 田野駅から徒歩約3分
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比木神社は、百済が滅亡したときに、父の禎嘉王と離れ離れになった「福智王」を祀る神社です。境内には樹齢400年の楠木の大樹と巨樹100選に選ばれたチシヤの木があります。
また、拝殿より本殿に渡る渡り殿の天井には、竜が描かれており「生き竜」とよばれています。
住所 宮崎県児湯郡木城町椎木1306-イ
アクセス 高鍋駅から車で
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なぜ百済王が宮崎に移り住んだのか。その理由は、謎に包まれています。しかし、宮崎に伝わる伝説からその手掛かりを得ることはできます。新たな生活を求めて、漂流した百済王は、穏やかな風景とこの地にくらす人々の人柄に触れ、きっとこの地を選んだのでしょう。
今も根強く語り継がれている伝説には、人々の百済王に対するあたたかい気持ちが込められています。