東京からUターンして早3年、安心安全で美味しいお野菜に目がない工藤有紀です。
昨年、若草hutteで開かれた「第1回hutte夜市場」でのこと、「日向ほったらかし農園」という店名で販売されていた無肥料無農薬栽培のブロッコリーが、とても甘くて美味しかったのが強く印象に残りました。
その味が忘れられず、生産者の甲斐裕治さんの作物を求めて、門川町にある「サンシールさの」まで足を運んだこともあるほどです。
今回、無肥料無農薬栽培に挑む甲斐さんの畑を訪ねて、日向市金ヶ浜まで行ってまいりました、
甲斐さんは、前職は自衛官で、8年前に千葉からUターンし、代々受け継がれてきた土地を守り就農。
段々畑や田んぼの中のビニールハウス、海が見える畑など4箇所の田畑を所有し、バナナをはじめ様々な作物を無肥料無農薬栽培で栽培されています。
バナナ栽培を始めて2年目の甲斐さんは、自らの畑のバナナ達を「バナナ師匠」と呼んでいます。
1年目のは順調に育ったので、2年目の今年は、「師匠」の株数を大きく増やされたのだそうです。
しかし、9月末に台風24号が襲来し、猛烈な風雨で県内各地に被害をもたらしました。
甲斐さんのバナナ畑も例外ではなく、バナナの7割が倒れ塩害に合うという、壊滅的とも言える被害を受けました。
それでもバナナは、驚異的な生命力で回復に向かっていました。
1年で2メートル以上に成長するバナナの生命力の強さ、そんなバナナから学ぶ事があるように感じてしまいます。
甲斐さんが、バナナのことを「バナナ師匠」と呼ぶ気持ちが少しわかったような気がしました。
露地のバナナの収穫時期は9月中旬から年末まで、ハウス栽培のものは年中、適宜収穫出来る予定だそうです。
残念ながら今回は、収穫前で甲斐さんのバナナを味わうことができませんでしたが、いただける日が楽しみです。
甲斐さんが育てる無肥料無農薬栽培の作物は、バナナだけではありません。
アボカド、いちじく、ブルーベリー、ケール、ビーツ、パプリカ、シークァーサー、ブロッコリー、リーフレタス、にんにく、じゃがいもなどを栽培されています。
ちょうど畑にあったいちじくの実をその場で二つに割っていただいたのですが、このいちじくの美味しいこと。優しい甘さと深みのあるコクが感じられ、これをサラダにしても楽しめそうです。
甲斐さんは、就農直後は自然養鶏をして、鶏糞を作物の肥料として作物を育てていたそうです。
ところが、この方法では思うように作物が育たず頭を抱えていたところ、施肥していないハウスの外に実生のトマトが根付き立派に実をつけたのを見つけました。
このことから、鶏糞で作物を育てることをやめ、無肥料無農薬栽培へとシフトしていったのだそうです。
「作物が育つ環境さえ整えれば、作物は自分の力で育つ。」
と甲斐さんはおっしゃいます。
実は甲斐さんには、農家以外にもう一つの顔があります。
それは、旧福瀬小学校体育館で定期開催されている「八百万の武プロジェクト」の講師としての顔です。
「己の身は己で守り、己の食い物は己でまかない、自分達の社会は自分達で築いていく。」
という信念のもと、自衛官時代の経験を生かして、護身術や体調改善などの指導を行われています。
参加費は1人1回1,000円なのですが、1回の時間は「気の済むまで」というのも面白いですね。
甲斐さんの農業も武道に通じていて、作物の持つ本来の力を引き出すため、ぎりぎりまで見守って、本当に枯れる直前になるまで水すらも与えないという育て方をされています。
甲斐さんはこれを「武農一致」と称されていますが、ご自身のライフスタイルでも、
「葉物野菜は買わない。
自分で育てた葉物を食し、葉物が育たない時期には、葉物を口にしない。
季節のものを食べ、季節ではない時期には食べない。」
という質実剛健なスタイルを徹底されています。
今の世の中、野菜や果物は需要があれば年中店頭に並び、旬がいつだったか忘れてしまうほどの飽食の時代ですので、この考え方には、はっとさせられました。
農業の神髄を追求し続ける硬派な農家・甲斐裕治さんの考えは、シンプルながら理にかなっているように思えました。
甲斐さんの育てる野菜は、受託生産が多いのですが、門川町にあるスーパー「サンシールさの」や旧福瀬小学校で買うことができます。
また、日向市などで開催されるマルシェにも時折出店されているようですので、出会ったら是非購入して試してみてください。その味に魅了されること間違いなしです。
硬派でいて「オシャレ」を連発するユニークな農家・甲斐さんの今後の奮闘が気になりますので、引き続き追いかけてみたいと思います。
宮崎の太陽、空、海、花、神社を愛しすぎて、東京からUターン。
宮崎の魅力的な人、景色、農作物、畜産物、お店、活動などをより多くの方に伝えたい。
尊敬する人は、岩切章太郎翁。