画像出典:映画『算法少女』オフィシャルWebサイト
文系ですが、数学も得意だったDiceです。
今、我々が学校で習ったり、日々目にする数学は、西洋で発達し現代に至ったものですが、西洋数学が日本に入ってくる前にも、土木や建築、財務、暦などの計算に必要なことから、日本独自に発達した数学がありました。
日本独自の数学は、江戸時代に入って、後に算聖とあがめられ、「関流(せきりゅう)」という一派を興した関孝和(せきたかかず)の登場以降、急速に発展しました。
その当時の雰囲気をテーマにしたアニメーション映画の上映会が、都城市で行われるというので、5月27日(土)に、都城市ウエルネス交流プラザに出かけてきました。
映像出典:映画『算法少女』オフィシャルWebサイト
その映画は、『算法少女』。
『算法少女』というのは、そもそも1775(安永4)年に出版された和算書のタイトルで、当時の和算書では唯一、著者が女性(平章子)名義になっているという珍しい書籍です。
この書籍をモチーフに、児童文学作家の遠藤寛子さんが、千葉あきという13歳の少女を主人公として、1973年に小説『算法少女』(岩崎書店)を出版(2006年にちくま文芸文庫から復刊)しました。
今回の映画『算法少女』は、その遠藤さんの小説を原作として、東宝映画「ゴジラ」シリーズなどを担当していた三村渉さんが、高野楓子さんとともに脚本を書き、プロデューサーとして制作したものです。
そしてこのアニメーション映画の誕生に、監督として重要な役割を果たしたのが、都城市出身の外村史郎(とむらしろう)さんだったのでした。
この日は、同じ会場で午前中から夜まで合計3回の上映が行われましたので、その真ん中、14時からの上映会に参加し、上映前に、この映画を監督された外村さんに、単独でインタビューさせていただきました。
外村さんは、1972(昭和47)年生まれで、都城西高等学校を卒業後、九州デザイナー学院(福岡市)でグラフィックデザインを学び、東京デザイナー学院に転校して、授業の一環でストップモーション・アニメーションを学びました。
映画好きで芝居が好きな外村さんは、その後、アルバイトでエキストラの仕事をしたことをきっかけに「芝居を極めたい」と思い、1996年に文学座の研究所に入所。
最初は、周囲のレベルとのギャップに打ちのめされますが、上手くなりたいとの一心で修行を続け、2001年には座員となり、画家、アニメーター、役者といういくつもの顔を持って現在に至ります。
『算法少女』との出会いは、脚本も手がけた三村渉プロデューサーが、外村さんの個展を観に来られた2009(平成21)年。
三村さんは、小説『算法少女』を映画化するに当たり、実写ではなくアニメーションでと考えていて、自主制作のアニメーターとしてその才能を評価していた外村さんに声をかけたという次第。
2009(平成21)年10月にアニメ化のプロジェクトがスタートし、作画がほぼ完了したが2013(平成25)年の夏ということですので、ほぼ4年、外村さんは一人で作画に取り組んだのでした。
一人での作業となったのは、低予算ということもありますが、外村さん自身の、
「パソコンを使ったデジタル作画で、一人でやる関門をくぐり抜けてみたかった。」
という思いや意地みたいなものもあったのだと思います。
それに加えて、見たことのない江戸時代をリアルに描くために、きちんと資料に当たって時代考証を行い、それを絵に反映させていく作業に思いのほか時間を取られ、結果的に4年もの月日を要したのでした。
しかし、2013(平成25)年夏の時点で、外村さんの作業が終わったわけではありませんでした。
そこから声優オーディションがあり、登場人物に実際の声優さんが割り当てられてレコーディングが行われ、その録音された音声に合わせて、画の長さや動きを微妙に調整していく作業が必要だったのです。
他にも音楽や音効などの手配もあり、2015(平成27)年春にようやく完成試写会まで漕ぎ着けましたが、そこから2016(平成28)年12月に東京渋谷のユーロライブで初めて劇場公開されるまで、更に約1年半の歳月が必要でした。
外村さんは、この映画を通して知って欲しいことについて、
「歴史の中で、和算の位置づけがどうだったのか、江戸時代の庶民が、現代の受験のように関門を突破するための学問としてではなく、純粋に和算や学問を楽しんでいたこと知って欲しいと思います。
また、この映画を完成させたいという思いは、一人でもできることを証明したかったからでもありますが、これだけの長さのアニメでも、一人で作れる時代になったということをわかって欲しいと思います。
アニメの制作会社は、今は東京に一極集中していますが、これからは、地方からでも発信ができるようになる時代が来ると考えています。」
ともおっしゃっていました。
画像出典:映画『算法少女』オフィシャルWebサイト
このインタビューの後、実際に映画を拝見させていただきましたが、293席あるムジカホールは、ほぼ満員で、都城市民の関心の高さが伺えました。
映画は、ジブリ作品のような精緻なアニメーションではなく、造形やシーン展開ををなるべく簡略化し、観ている人が自由にイマジネーションを膨らませることができるような作画になっています。
それでも、98分あるこの映画の作画を、たった一人で描き上げたのかと思うと、その並々ならぬ苦労に恐れ入るほかありません。
ストーリーは、原作そのものの力もあって、しっかりと楽しめます。
事前に原作を読んでから観ると、脚本の苦労もよくわかるので、一層楽しめるかもしれません。
脚本は、基本的に原作に忠実ですが、エンディングの部分で、外村監督からのメッセージも十分に感じることができました。
どんなメッセージかは、実際にご覧になっていただければ。
また、原作者の遠藤寛子さんも本人役で登場していたり、外村監督自身も声優として参加していたりと、いろんな意味で楽しめる映画でした。
上映が終わって、舞台に登壇した外村監督は、まず最初に、
「一人で描いたことが真っ先に取り上げられますが、脚本家や声優さんなどいろんな人との関わりがあって完成できた映画です。
更に、上映に携わっていただく人、観に来てくださる人がいて、今があります。
今回の上映会でも、今年の2月から準備を始めて、母校の都城西高校の関係者や、そろばん教室の皆さんなど、たくさんの方にお世話になりました。」
と、感謝の念を述べられました。
また、会場からの登場人物の特徴に関する質問に答える形で、
「登場人物の目の描き方については、プロデューサーから映画化の話があって、いろんなキャラクターを描きましたがしっくり来るものがありませんでした。そんな時、妻が壁に貼ったモディリアーニのカレンダーを見て、こんな表現があるのかと思いました。
目を奪われると、目だけ動かして感情などを表現するテクニックが使えなくなります。しかし、その一方で、新しい表現を作ることができました。
この映画では、目の色で政治に携わる人物、町人などを描き分け、階級を表すのに、歌舞伎の隈取りのような表現を使っています。」
と話されました。
事前のインタビューでも外村さんは、
「妻の存在が大きかった。半分以上は妻が作ったようなものです。」
ともおっしゃっていましたが、確かに、いつお金が入るかもわからない仕事に打ち込む夫を支える妻の存在は、大きいのだろうなと思ったところでした。
また、
「一人で4年間もやっていて、心が折れなかったかと聞かれることが多いのですが、折れました(笑)。
制作者としては、とにかく完成させなければという思いがありました。」
と話されたのも印象的でした。
今回の上映会を企画・運営されたのは、都城市内の映画上映サークル「シネサロン都城」を運営する、m20南九州の代表・坂元敏志さん。
坂元さんは、昨年の12月に、都城在住で日本野鳥の会宮崎県支部会員の中原聡さんから、「甥が映画を作った」という話しを聞いて『算法少女』のことを知り、地元・都城出身の監督を応援したいとの想いで上映会を企画されたのだそうです。
その後、外村監督や関係者と10回近くの打ち合わせを行い、地元のそろばん協会などの協力を取り付け、今回の上映会の開催にこぎ着けたとのことでした。
坂元さんも、映画『算法少女』について、都城出身の監督ということだけではなく、作品そのものも素晴らしいので、是非ともたくさんの方に観ていただきたいと話されていました。
残念ながら、今のところ大手の配給には乗っていないので、各地で今回のような上映会を開催するのが最善の道のようですが、坂元さんによれば、500~600人の観客を集められるのであれば、十分に開催できるとのことですので、興味がある方は、是非とも「製作工房 赤の女王」にお問い合わせを!