高千穂町内から車で約30分弱でたどりつく秋元集落。
ここには、日本の原風景がたくさん残っていて、まるでタイムスリップをしたような感覚になります。
わたくしの大好きなお宿「まろうど」に宿泊して、明日の予定をどうしようかなーと地図を眺めていると、、、
集落の地図にある「い」「ろ」「は」「に」「ほ」「へ」「と」っていう暗号のような文字は、何を現すんだろう??
何度も秋元にきているのに、、、、はじめてみたーーーー!
そんなときには、この方にきけ!
高千穂町役場に勤務していた淳志さんは、衰退していく故郷を見て起業を決意。
早期退職して、株式会社高千穂ムラたびを設立して、民宿まろうどの運営、ムラたび農園で農作物をつくっていらっしゃいます。
好奇心旺盛で、勉強家。
会うたびに、いろいろなことを教えてくださる大好きなお父さんです。
そこで教えていただいた衝撃の事実が。。。
秋元地区 100軒中 90軒は「飯干さん」!!!!
まじですかっ!!!!
つまり、「飯干さんが、、、」といっても、どこの飯干さんなのか分からないんです(笑)
そんなわけで、昔から使われているのが、各家につけられた「いろは屋号」。
秋元にはいったところから、時計周りで
「いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん」と、いろは歌の順につけられているんです。
飯干淳志さん宅は、「を」 (やまを)なんだとか。
今でもこの風習は残っていて、現役で使われている「を」の半田ゴテを見せていただきました。
すべての家で、今でも使われているときいてびっくり!
ぎゅぎゅっと手におしてみた!
見えるかしら??
「を」の文字が。笑
これは、平安文化が色濃く残る秋元地区ならではの文化なんだって。
よくよくみると、、、
乳酸菌飲料「ちほまろ」にも、「を」の印がーーーーー!
おおおおお。
秋元の未来をつくる高千穂ムラたびさんの、こだわりと想いがこんな細やかなところに込められていたとはーーー!
(何度も飲んでいるのに気付かなかった。。。)
もともとは、集落で冠婚葬祭をするときに、それぞれの自宅からお盆やお皿をもちよった際に、どれが誰のものか分かるように工夫していたところからはじまったそうです。
木箱には、大きく「ウ」の文字が。
それぞれのお盆の裏には、朱で「ウ」と書かれています。
まさに生活の知恵だなぁ。
昔は、このあたりが鹿児島県だったことがわかる食器も見せていただきました。
昔といっても、明治14年。
歴史から学ぶ地域のヒントがたくさんありそうです。
村の野菜を直売できる無人販売の「いろはや」さん。
これまでは、自分たちが食べるぶん以外の野菜は捨てられることも多かったそうですが、「いろはや」ができてからは、それが価値にうまれかわったんだとか。
ここでも、やっぱり「いろは屋号」が使われている!
オクラやブルーベリー。
甘いとうもろこしだって、
それぞれが、いったい、どこの飯干さんが作っているのか一目瞭然。
(というか、どれもやすっ!!!驚)
「誰が」つくったのかがはっきりするということは、自分が作るものに責任をとることでもあるんだなぁと感じました。
強烈なかかしを目印にいってみてね。笑
飯干淳志さんのお話のなかで、とっても印象的だったのがこの言葉。
効率化を求めるがあまり、もしかしたら私たちは、大事なものをたくさん失ってきているのかもしれません。
未来に繋ぎたいとおもったら、「今の暮らし」こそを丁寧に、ありたい姿で生きることが大事なんだなぁ。
まだまだ秋元集落に眠る謎があるそうなので、また遊びにいきたいと思います。
いろんな地域の謎にもせまってみたいなーー。
ぜひ!みんなの知っている地域の謎も、テゲツー!に情報をお寄せくださいーーー。