1920年7月3日、宮崎県に全国初となる女性の校長先生が、古城小学校に誕生しました。
当時、25歳という驚きの若さ!
今でも古城小学校では、子供達にとっても身近な存在になるほど、語り継がれている鳥原ツルさん。
今回は、そんなツルさんのお話をたくさん伺ってきたので、ご紹介します。
鳥原ツルさんが、校長として最初にしたあいさつは、「為せば成る。為さねば成らぬ、何事も」という言葉。
これは、自分自身の決意の言葉でもあったようです。
当時、女性の校長先生が誕生することは珍しく、全国的にも大きく報じられたそうです。
当時の古城小学校は、児童数120人、教師4人の学校でした。
ツルさんは、校長もつとめながら、授業も担当していました。
子供達の教育だけでなく、夜は青年団への社会教育、休日は奉仕作業を積極的に行い、住民からの厚い信頼を得ていたそうです。
「美人の校長先生」と大騒ぎにもなったんだって。
現在の古城小学校の校長室には、歴代の校長先生のお写真が飾られていますが、中でもツルさんは、目立っていました。
ずらりと男性陣が並ぶなか、若い女性の校長先生は、異例のことだったことが伝わってきます。
職員室でイスに座っていることはめったになく、よく子どもたちと一緒に過ごし、実習の多い授業をされ、家庭生活に役立つものも多かったそうです。
ツルさんが出張して不在の時、郡内一斉の成績考査(学力テスト)が行われたときに、ツルさんが受け持っていた5年生だけは、ずば抜けてよい成績だったそうで、学びの楽しさを教える先生だったんだろうなぁと感じました。
お話をきけばきくほど、本当に素敵な先生だったんだなぁと感じました。
2013年には、鳥原ツルさんの娘さんが、宮崎市に5822万円を寄贈。
「古城小学校振興基金」がつくられ、古城小学校の児童の学習環境の充実を図っています。
時代を超えて、古城小学校の子供達を応援するなんてすごい!!
昭和56年に、現在の古城小学校の正門前の庭ができあがり、それを見届けた後、86歳で亡くなられたツルさん。
昭和56年生まれのわたくしは、そんなツルさんの想いをほんの少しでも引き継げるような、子供達にかっこいい姿を見せることのできる大人になりたいなーーと強く感じた1日でした。