お正月といえば初詣。
もう出かけられたでしょうか?
宮崎県は、神話の舞台とされる場所や、連綿と語り継がれてきた伝承が多く、日本最古の歴史書『古事記』のなかでも、たびたび日向国での出来事としてふれられています。
今回は、神話にちなんだ地元のお話をひとつ。
『古事記』のはじめの方に出てくるエピソードに、
「黄泉の国から帰ったイザナギノミコトの禊(みそぎ)と、神々の誕生」
が書かれています。
禊といえば、6月と12月の末に「大祓(おおはらえ)」という行事があり罪穢れ(つみけがれ)を祓うものが代表的です。
そのほか、滝、河、海岸など、様々な水の流れあるところが、ミソギの舞台となっています。
神話のなかで禊をされたイザナギノミコトと、妻神イザナミノミコトをおまつりする江田神社がありますが、神話ファンがちょっと気になるのが、現代ではパワースポットとして人気の「御池」の存在です。
古事記に、
到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐原而。禊祓也。
(筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓いをします)
という下りがあり、これは神社でお祓いのとき「ちくしのひむかのたちばなの・・・」とはじまる祓詞(はらえことば)にも出てくる、禊をされた場所について。
そのあとに、禊をするにふさわしい条件として、
於是詔之。上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬・・・
(おっしゃることには、上瀬は流れが速く、下瀬は弱々しいため、ちょうどよい瀬にて)
という記述があります。
水に入って禊をされたイザナギノミコトが、その折に脱ぎ捨てた衣服や装飾品から、また流れの中で浮き沈みして、洗い清めて黄泉の国のケガレを祓った時、数々の神様が生まれています。
さて、ここである問題に行き当たるんです。
禊の伝承がある場所は、御池・・・
別名を、みそぎが池・・・
池・・・
「あれ?古事記のどこにも「池」なんて、書いてない!!」
そもそも池には、流れがありません。
え、どういうこと!?
ここに日向神話のミステリーと、宮崎のヒストリーにまつわるお話があるのです。
そのためには、まず宮崎平野の時代を、ぐっとっぐっと、さかのぼってみなければなりません。
今よりはるか昔、縄文時代と呼ばれていたころ、現在よりも海面はずっと高く、生目の杜運動公園の近くには跡江貝塚があり、かつての海岸線を今に伝えています。
すなわち、宮崎平野の多くは、かつての海の底。
「縄文海進」と呼ばれる海面上昇と、弥生時代から古墳時代の初めまで続いたという「弥生海退」の言葉があります。
現代の地図と古代の地図は、まったく別のものだったのです。
それと「禊」神話の関係性に、思いを致すようになったのは、高校までを過ごした宮崎市住吉での生活と、県外からの眼でふるさとを観る機会を得てからでした。
さあ、禊の聖地「御池」と、時の流れに隠された秘密。
あくまで科学に基づきながら、愛してやまない宮崎が、宮崎たる所以に迫ります。
個人の掲げる一説ではありますが、お正月の楽しみとして、どうぞお読みください。
次回、一挙謎解き。
日向神話と出雲神話の共通点、超時空地元ネタ。
真面目にやります!つづく
テゲツー!会長 長友まさ美からのメッセージ
なんとー!ぜんぜん知らないことばかりでした。
神話のこと、もう少し知りたいなぁ。
健作さん、新しい視点からの宮崎をありがとうございます!
つづき、楽しみにお待ちしています♪