「宮崎焼酎研究会」の蔵元訪問ツアー2日目、前日の渡邊酒造場に続いて訪れたのは、都城市早鈴町にある柳田酒造合名会社です。
1902(明治35)年創業で110年を超える歴史を持つ、家族経営の小さな蔵ですが、1978(昭和53)年からは麦焼酎の専業メーカーとして、大麦焼酎「駒」をメインに製造してきました。
元エンジニアの5代目当主・柳田正さん(42歳)が蔵を受け継いでから、新たな味わいの大麦焼酎「赤鹿毛」や「青鹿毛」をラインナップに加え、2013年には正さんの悲願だった芋焼酎「母智丘 千本桜」を35年ぶりに復活させたことでも話題になりました。
その芋焼酎「母智丘 千本桜」の仕込みの真っ最中でお忙しい時期でしたが、「宮崎焼酎研究会」の訪問団を快く受け入れてくださった柳田さんからお話を伺いました。
「『千本桜』の仕込みは、今年で3年目になりました。
昔の味を再現したいと思い、今回、白麹から黒麹に変えることにしました。
これまでは、10年以上使いこなしている白麹で造っていましたが、芋の蒸し方、米の蒸し方もわかってきたので、いよいよかつての黒麹に挑戦することになりました。
麹室が黒く汚れるなどの理由から柳田酒造でも黒麹から白麹に代わっていった歴史がありますが、従来のコク、味、香りを維持しつつ、甘みを出すことに期待しています。
今でも、当社の軸足はやはり麦ですので、芋焼酎を造ったことで麦の味が変わってしまうのは本意ではありません。
これまでどおり、『駒』や『赤鹿毛』、『青鹿毛』をしっかり造りつつ、芋にチャレンジします。」
「新しいことにチャレンジする企業に最大で1,000万円の補助金が出ることになり、それを使って新しいドラムを導入しました。
ドラムは、米の蒸し器がそのまま製麹機になるので、毎回、滅菌した状態から麹を造ることが可能になります。
使用前に完璧に滅菌することが難しい三角棚とは異なり、性質の異なる麹菌を使い分けることができ、便利で楽なのですが、頼り切ると職人としての腕が落ちるので、三角棚は残します。
『赤鹿毛』と『青鹿毛』は従来どおり三角棚を使い、『駒』と『千本桜』はドラムを使って麹を仕込みます。」
「蒸留したての新酒は、硫黄臭が多く、ガスガスしています。麦焼酎の新酒は刺激味が強いですが、時間をかけて熟成するにつれてまろやかで美味くなっていきます。芋を造ってみて、麦とは違うことに気づきました。
芋の場合、新酒は蒸した芋の甘い香りがありますが、これが1ヶ月ほどで消えます。冬に油が浮いてくるので、これを掬って取り除きますが、焼酎の中にもくもくした霞のようにいる、中に溶け込んだ油は残します。
その油が暖かくなると焼酎の中に溶け込んで甘さのピークが来ます。
2月の終わりに『蕾千本桜』の春バージョンを本数限定で出そうと考えていますので、楽しみにしてください。」
「あと2週間で麹造り、芋の仕込みは終わります。最後の2仕込みは、ちょっと背伸びをしまして、麹米には山田錦に挑戦します。
焼酎で高価な山田錦を使うのは全国でも珍しいと思います。
しかし、日本酒ブームの影響で、全国的に山田錦が不足する傾向にあって、なかなか手に入らなくなっていると聞いています。
うちで使う山田錦は、高原町の『農事組合法人はなどう』で作ってもらっています。
『はなどう』には麦も作ってもらっていますので、高原町は醸造用原料の基地として、これからも頑張ってほしいと思っています。」
「実は、麦焼酎にも新しい麹に挑戦しています。
麹屋さんによると、パイナップルのような香りのする芋焼酎ができるらしいのですが、麦ではまだどこも使っていません。
試しに仕込んでみたら、もろみがパイナップルジュースのような色をしているので期待していたのですが、蒸留したら普通の麦焼酎と変わりませんでした。
しかし、熟成させることで変化が出てくると言われていて、今4ヶ月経って多少の片鱗が出てきたかなという感じです。
これがこれからどうなるのか、楽しみです。」
伝統を受け継ぎつつも、その位置に安住せず、美味しい焼酎を求めて日々変化を模索している柳田さん。
「ミヤザキハダカ」という途絶えかけていた在来種の麦を、多くの方の協力を得て復活させ、ご紹介したように、先代があきらめざるを得なかった芋焼酎「千本桜」を復活させるなど、伝統に挑戦してきましたが、その視線は、既に過去から未来へと向けられているようです。
さらには、焼酎の製造だけではなく、販路の拡大にもチャレンジ。
ミラノ万博を契機としたヨーロッパ市場へのチャレンジに続いて、1月に宮崎県内の他の6つの蔵とともにニューヨークに乗り込んで、試飲会・商談会にも取り組もうとされています。
これからの柳田酒造の取り組み、焼酎の味とともに、ますます楽しみです。