こんにちは、高千穂シュガーです
今日は渋谷からです
2020年の東京五輪にむけて、再開発が進む渋谷で
宮崎出身の齋藤隆太さんは23歳の時に起業したそうな
最近よく見かけるFAAVOの生みの親の方ですね
そんな齋藤隆太さんにも宮崎へのUターンについて聞いてみました
ーまずはじめに・・・宮崎嫌いだったんですか?(笑)
「うん、そうだね(笑)嫌いだったというか、面白くなかったが正しいかな。高校生の内はぜんぜん刺激の考え方とかも違ったんだろうけど、楽しかったのサッカーだけ(笑)
高校卒業したらすぐ出たかった。だから東京の大学に進学した。」
ーなるほど、起業した選択肢もそこらへん絡んでますか?
「帰る選択肢は無かったのもあるし、イチからなにかものを創るのが好きだったんだよね。大学生の時にバイトで1店舗の運営とかを任されていた時に、そこで仲間と力合わせて店を回して創りあげていった成功体験もあって。
そこで、新しいうねりを生み出すのが好きになったんだ。それで起業したいなと思って。」
ー起業した時の「お金を稼ぐコト」ってすごいハードルだったと思うんですが、どう乗り越えたんですか?
「はじめの内はホントお金なくて、豆腐2丁だけ食べて夜を過ごす日とかあったりしたね(笑)昼もご飯にレトルトの牛丼かけて食べたり。それよりも仕事が楽しかったんだよね、その時。
それで言うと、お金が無いときから普通の生活を営めるレベルに登るのは会社を大きくするときより簡単だよ、稼がないと生き死に関わるからね」
ーそんななか東京で働かれてますが、宮崎に帰りたくないですか?
「いますぐ帰りたい!うん、今すぐ」
ーなんで帰れないんですか?
「それは一番自分が立ち上げから参加した会社のコトがあるかな。いまはまだまだ成長中の会社なので投げ出せない。今は会社をやめてまで帰るという選択肢はないかな。もちろんもし帰ることになってもサーチフィールドの一員のまま帰ると思います!」
ーちなみに奥さんは、宮崎へUターンへはなんと?
「いますぐ帰りたいって(笑)」
ですよね(笑)
ーちなみに東京で何が一番つらいですか?
「満員電車。だから毎日自転車で通ってました。」
ー宮崎へ帰って不安な事ってあります?
「そうですね、やっぱり東京のほうが友達とか仕事仲間とか沢山いるからそういったソフト面ではやっぱりまだ東京のほうが良いところがあるかな。
だから、宮崎に帰っても東京と宮崎2拠点で働けるような仕事をしていきたいし、宮崎を元気にして行きたいね」
ーはやく支社作ってください(笑)
帰りたくても帰れない人たちって結構沢山いると思うんですよね
けど自分が帰りたいのにそれが出来ない、家族も望むのにそれが仕事が無いとか子育てがやりにくとかが理由になってるような世の中じゃおかしいですよ
地元にいる僕達がもっとそういう声を拾い上げて、社会を創っていかなくちゃいけないなと思った所です
東京のように種類は無いけど、宮崎にも仕事あるんです、、保育園の待機児童もほぼゼロです
情報の齟齬があって宮崎帰れない人がいるのも良くないですよね
そうだ!京都行こう。みたいな感じで、
そうだ!宮崎帰ろう!って景気良く帰って来れる宮崎にしますね
それでは今日はこのへんで
ではでは
・宮崎県の仕事探しを支援するインタークロスでは、Uターン就職の旅費の支援も行われております。